本来の面目  

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ひとはみんな仏さまの顔を持っている

すべてのひとの中に仏さまがいる
特にそれを感じるのは肉体を離れたあと、火葬までの間
顔の美しさが最高に達する瞬間があって

そのひとの人格や我が去って
魂の美しさがそのまま顔にたちあらわれてくる

きのうは、子どもの頃からおにいさんと呼んでいた近くに住む叔父の葬儀だった
叔父は2年ほど前に余命をつげられていて
自分が入るお寺、お墓、葬儀場のことなどすべて準備をしていた

4月末の誕生日には桜の花を楽しみ、好きな納豆もちを食べて
まわりのサクランボ作業が忙しくなる前に
病院には2泊しただけで旅立っていった

昨年10月に私の父が亡くなったときには
病気のそぶりを見せず毎日のように家に来て手伝ってくれた

父の兄弟姉妹はみんな声が大きく
私もその血をひいているが
叔父は脳天をつらぬくような高音で
テンションがあがると陽気にじゃべり続けた

うるさく感じることもあったが
それももうきくことができない

静かな叔父をみるのがまれだったこともあって
呼吸をしていない、眠っているかのようなおだやかな顔は
本当に本当に美しく
「こんなにハンサムだったかなあ」と親族で言い合った

誰の中にもこの美しさがあるんだ
なにか震えるものがあり何度も顔をみにいった

昨年亡くなった父もそうだった

自分が死んだら自分ではこの美しい顔をみることはできないんだな
とおもった
そして急にセルフポートレート 自画像のことがうかんだ

生きているうちにこの美しさに触れる
セルフポートレートを描くというのはそのひとつのチャンスなんだ と

叔父のお寺は
光明寺という名前だった

「おにいさん 本物の仏さまになっちゃったね」

http://flowerpeople.org/eventhenna2.html
セルフポートレートのWS

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