- 私自身の一瞥体験を悟っただとか誇らしいという気持ちはなかったが
記憶として宝石箱に入れていたことは事実だ
バッグを盗まれ足の爪をはがす という体験も
いまとなっては済んだ体験にすぎないが
直後はインド人男性をみると恐怖がわいてきたり
足の爪が痛かったことも事実だ
一方は忘れたくない体験で
一方は忘れてしまいたい体験
どちらもつかんだままでいると そこが魔境になる
どちらも いまは私の頭の中以外にはない
お気楽ちゃんねるのNO145で安達さんは
「体験と悟りは違うもの」と言っている
「自我意識がもどってこなかったら この肉体が私であるという感覚がない訳ですから
この人間業界ではやっていけない。」
だから問題なし
なんかほーーーっとした
そうだよね
あのままだったら車がむかってきてもよけなかったかもしれない
いや 身体は身体の機能をはたすのだから
思考とは関係なくよけたかもしれない
車にひかれたら身体は痛い
車も私だから恐怖はないけど
私には
こりゃステキだ すばらしい とおもうと
みつけたぞ この路線でいこう として
うまくいかなくなる 停滞する というクセがある
ひさしぶりに聴いた「お気楽チャンネル」だったが
「何にも信じてないのでぶれようがない」
これにはヒットした
でもこのことも忘れてしまおう
白隠老師は
大悟18回、小悟は数知れず ということばを残したらしい
大悟0回 小悟は2,3回の私だけれど(魔境2,3回か・・・)
問題なし
わっはっは
で眠りにつくことにしよう