OSHOライフトレーニング 2013年5月3日
創造性は誰の中にもある
というか宇宙は創造そのものであり
すべてのひとがそれとつながっている
自分を通して起きてくるのを許す時
自分が邪魔をしない時 それはあらわれとなる
むずかしくしているのはなんだろう
わたしたちは桜を描いた
桜とつながっているとき
わたしたちは自分の本質とつながっている
わたしたちが自分でいて自然なとき
桜になっている
そこから表現されるものは
すべて桜だ
どのような表現であろうと
それぞれが独自の音を出し
色で自分だけのダンスを踊っている
今回Meeraは一度も描き方を教えなかった
Meeraがみんなの前で描き方のデモンストレーションを
することもなかった
自然の中で ときおり桜を描いていた
夜にOSHOの講話のヴィデオとMeeraのヴィデオをみたので
Meeraがその中で描いている様子はみたが
最初 絵をかくとき ほとんど放任状態というか
まったく自由だった
自由だとひとはなにをするのだろう
何度も描いているひとは同じように描きはじめるのだろうか
はじめて描くひとはどうするのだろう
教えてくれるのを待っているのだろうか
誰かにきくのだろうか
自分なりに描くのだろうか
ひとの絵が気になったり 比較したり
おもうように描けなかったり
泣いたり
いつものパターンに落ち込んだり
花ひらいている桜たちと
ともにいることしかできない と知る瞬間
桜と自分と表現に区別がなくなっているとき
すでにあるものが
わたしたちを通して美しさをあらわす
Meeraは愛ゆえにわたしたちを放っておくが
よくみている
それは観察しているというより
自然界と波長をあわせた動物が
ここぞというときに最大の力を発揮し
わたしたちの開花を誘発する感じだ
創造性のソースとつながっているひとが
同じ空間で絵を描いているだけで
わたしたちは学ぶものがある
絵を描くというのは個人的だが
エネルギーの共鳴がそこにいる人たちの間で
知らずに起こっている