アーナンダマイ・マーを知ったのは「あるヨギの自叙伝」を読んだときだ
最初写真をみたときヨガナンダといっしょに写っているそのひとは、童女のようでいて
どこか妖艶でヨガナンダの妹のような親しさとオープンさを漂わせていた
その写真に非常に惹きつけられた私は このひとは何者なのだろう と第45章の
‘ベンガルの至福に浸る聖女”を丁寧に読んだ
食事もまわりのひとが口に運んであげなければならないほど、神に没頭し至福の中にいるひと
その後何年か彼女の名前を目にすることはなかったが
雑誌「スターピープル」でアーナンダマイ・マーの写真をみたとき再び衝撃が走った
つかの間の「私」を、永遠の「私」に捧げなさい
アーナンダマイ・マー
この言葉に震えた
まったく知らないのに懐かしい場所
懐かしいのだからたぶん知っている場所
手のとどかないその場所と一瞬つながった感じがした
遠い遠いところにあるようにおもえるその神聖な空間に
実は私はいつもいるのだ
この言葉はアーナンダマイ・マーが浸っている至福の世界への通路となって響いてきた
しかしそれからまた、つかの間の私がすべてになり、つかの間の出来事に翻弄される日々が続いた私はこの言葉をおもいだすこともなくなっていた
ところがインドで親しくしていた友人と東京で再会したとき
おみやげ この中から好きなの選んでね
と差し出されたものが なんとアーナンダマイ・マーの写真だった!
そしてこの夏には沢山の写真入りの本をみせてもらった
場所の名前は忘れたがアーナンダマイ・マーの寺院で手に入れたものらしいので
貴重な1冊だ
ぜひとも英語達者な友人に訳してほしい
あの本はヒンディー語だったか?
なにか強くこころを動かされたものというのは
その振動が宇宙全体に伝わりゆらいで
似たものを連れて自分にもどってくるようだ