井上哲玄老師への質問①

FSCN0121

ことばで表現するのがどうにもむずかしく
できるかはわからないが とにかくはじめてみよう。

2014年 私は年内にどうしてももう一度井上哲玄老師にお会いしたいという
強いおもいがあった。http://tetsugen.jimdo.com/
1月に映像で老師の存在を知り 2月に浜松の寺カフェに参加
映像を見ての自分の理解、疑問を直接質問して かなりの勘違いがあったことがわかった。

10月はじめに東京で禅会があり 参加した方々の質問への
老師の返答を 時に驚きとともにきいた。

質問は 自分のこと・・・いま 自分にとって問題になっていることが肝心だ
ひとからみてどんなにつまらないことのようにみえても
身動きがとれなくなっている その根のところ
そこを老師は見抜いて答えられる。

11月の浜松では 私には三つのもやもやがあった。

ひとつには 2012年に起きた車同士の衝突事故のことだ。
心身ともに いろいろなひとのサポートを受け
1年かかって自分なりに気持ちの決着をつけたはずだったが
さらに1年たって首、肩の痛みが出てきた。
原因は定かではないのに「この痛みはあの事故のせいにちがいない」と
痛むたびに一時停止を無視してぶつかってきた相手への怒りがわいてくる。

哲玄老師のお師匠さまであり父上である「井上義衍老師語録」には
九九番「 相手はいない」に良寛さんの話がある。

月をながめていて畑に入り込み芋どろぼうとまちがえられた良寛さん
捕らえられて打たれたが言い訳せず
「打つものも、打たれるものも、みなともに、如露亦如電、応作如是観」と。

「畢竟自己のないことを自覚せる力によって自他共に厄から脱れることを得た。
ただ打たれて痛かったばかり。それがそれであった。相手はどこにもいない。」と義衍老師

良寛さんのすばらしいお話としてきくぶんには納得できるが
自分だったら とおもうととてもできない。考えられない。
私は芋どろぼうではありません とすら言わないなんて
いまの世間は自分の言いぶんの証明のやりあいばかりだというのに。

私は事故のことをおもうと
なぜかこの良寛さんの話がうかんだ。

私が良寛さんのようにできた人間なら 相手をうらまないのだろうか
禅の理解があったらどう応答するんだろう

自分のいまの感情を話すと
老師「それは執着でしょ?」
(執着だってことは私だってわかってます。。。心の声)

老師「ぶつかったのは一瞬でしょ」
私  「はい」

早い話これで終わってしまった。

終わってしまった・・ということがわかった。

口は「はい」と言って
でも・・・そんな・・・あれこれが少しもわいてこなかった。

私「事務的なことが・・・」
老師「そりゃ事務的なことはしなければなりません。
本人同士だと感情的なことがあるから第三者をたてるんでしょ」

私「良寛さんのようにはおもえない」
老師「まねしようったってダメですよ。
これは良寛さんという底抜けのひとの話です。」

老師が「一瞬でしょ」と答えられたときに
私はいわゆる答えではない答えを受け取った

受け取ったということばは的確ではなく 知ったことばで言えば共鳴 交感だろうか。

ずっとあった湿ったものが からっとなった感覚

これこれこういうことをすれば、こういうおもいでいれば解決しますよ
という答えではない 答えだった。

同じ問いでも質問者が違ったり、私が首にギブスでもしている状態だったら
違った答えだったかもしれない。

東京の禅会で「老師のお話はすばらしいけれど 私のかゆいところを
掻いてはくれない」というようなことを言った女性のことばをおもいだす。

禅では独参というものがある。
老師も「直接 会いに来てください」とおっしゃっている。

私が参加した11月の寺カフェは五日間の接心明けで
ずっと座禅をしてこられた方々が参加していた。
その場での質問という縁もあっただろう。

その後 事故のことでは
「相手が・・・ 相手が・・・」と矢印が外にむかいながらも
自分のなかであれやこれやと格闘していたことがいまさらながらハッキリした。

おもいの渦をつくって飛び込み 消えたものをまた作って飛び込み
この思いをなんとか消してくれと叫ぶ。

良寛さんは何も言わずたたかれたままだったけれど
私は 私の自然を生きればいいんだ と決着がついた。

その時なにをするかはわからない
怒鳴り込むかもしれない
なぐるかもしれない
なにもでてこないかもしれない

今回のように 保険のひとにまかせつつも
相手にも 仲介のひとにも お医者にも 自分自身にも
不満が残ってうじうじするかもしれない

しかし それが そのときの自分なら そうなのだ

そうだなあ~ と終わっている
忘れている
次の瞬間には

首が痛い

それがそうなのだ。

「一瞬でしょ」
自分がかかえていたもやもやと 妙なるタイミング
このことばが 生きものになった瞬間だった。

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