貯金箱を割れ

貯金箱を割れ   2015年3月10日

 

人はいい感じになると守りに入り
現状維持をしたくなるものです。

私の場合は 絵の中にいい感じのところがあると
そこには手をつけないで
周辺をなぞっていたりしました。

ここは生に対するアプローチと
似ています。

インドでの長い絵のグループ
ペインティングキャラバンと呼ばれていた頃かもしれません。
明日が最終日 そのあとには展覧会が待っている。という状況で
どことなくみんながそんなムードに陥っていた時がありました。

ミラがわたしたちの様子をみて言ったのです。

「貯金箱を割ってみたら。
1万円札が出てくるかもしれないよ。」

えーっ いまそれを言う?
とっさに「ゼロ円かもしれない」ということばがでました。

貯金箱を割る気にはなれなかった私ですが
それでもはっと目をさまし
そのことばで再び新鮮な気持ちで絵にむかいました。

そんな中 貯金箱を割ったひとが二人ほどいました。
ひとりはウエスタンの女性でおとなしそうなひとでした。
上から絵の具を大胆にかけて違った絵になっていたのを目にした時は
ショックを感じました。

勇気あるなあ
とっても真似できない。

彼女が後悔していないことは
すっきりとした表情をみてわかりました。
それまで苦しんでいるのを知っていたからです。

けれど この「貯金箱を割る」のは
詰まった時いつでもやるというのとも違うのです。

ミラは「お産婆さん」という表現で
絵がうまれるのを自分たちでたすけるように と言います。

自分もふくめ たくさんの仲間たちをみて
絵をかくことには
生きることのパターンがあらわれるんだなあ とおもいます。

いま どうやったら
この絵を育てること
自分を愛することになるんだろう。

それはテクニックというより
自分の在りかた、瞑想です。

急ぎすぎて壊してしまったり
守りすぎてつまらなくなったり
そんなことを繰り返しながらも
私にとっての絵と人生のキャラバンは続いている
いまもそう感じます。

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