口を開け

口を開け               2017年2月3日

去年の11月、ミラのワークショップで

私が受け取った最もおおきなメッセージがこれです。

「口を開け」

特に日本人は自分もふくめ遠慮というか奥ゆかしいというか

さらには  間違ってたら恥ずかしいわ

まずは周りの様子をみてから

みんなの前で言うほどのことでもない。。

など など口を開かない傾向にあります。

ミラの問いかけにわたしたちも最初

しい~ん 黙っていました。

「間違ってたら 正せばいいんだ。」

そして私は口にしてみて気づいたんです。

それはトンチンカンな答えだったかもしれません。

誰かを納得させるために言うのではなく

正解を言ったからすばらしいというのでもなく

自分が自分のことをわかる。ということです。

口にしてみてはじめて

私こんなふうに感じてるのね

わかってたつもりだけどあいまいだな

ありゃ 声のトーンが高くなってる

ちとウソっぽいな

お~自信持って表現してる

頭の中であれこれわかったつもりになっていても

ことば 動き

そして 描くことをとおして表現してみると わかる。

自分でわかるのです。

表現できない   ということもわかる。

なにか最初のアクション

最初の水の一滴  一筆

そこから始まっていく。

前回の東京おおるりの長いトレーニングのときは

私はそこらへんを勘違いしていました。

スタッフとして長くミラの絵のトレーニングに関わる者として

正解以外出してはいけない、

みんなから ほほう と関心されるようなシェアをしなければいけない、

いまおもうと笑えるけれどそんなプレッシャーに縮こまっていました。

そしてミラが私にどんな答えをもとめているんだろう

そういったことに焦点をあてていました。

もしかしたらミラはわたしたちにそういったことも

期待しているかもしれないけれど

でも私にとって重要なのは

自分が発してみて自分がなんらかのことに気づくことでした。

もともと楽観的な性格だけど

それから私はますますいろんなことが気楽になって

緊張もするけど そのことも良しで

まちがいもやって

とにかく 最初の小さいアクションを起こすことで

風がふいていくような

すべては「口を開け」からはじまりました。

そして そのときの参加者のひとたちの

気づきのシェアには本当に感動しました。

自分の絵をみて起こったミラクルをシェアしてくれましたが

私にはなんでことばでこんなに表現できるの?というくらいの衝撃で

でもそこには

シェアせずにはいられないという歓びの衝動が感じられました。

誰かから言ってもらわなくても

表現された絵をみて自分で気づけるんだ。

絵ってすごいな。

はじめて参加するひとたちの声をきいて

このワークのすばらしさを幾度も実感したのです。

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