私の十字架  ①

たいそうなタイトルだが 「私の 」というより 私たちの
と言ったほうがいいかもしれない

記憶というのはどこで始まりどんな感じで保存されていくのだろう

私は小学校低学年頃から いやもっと前からかもしれないが
毎晩みる怖い夢に悩まされていた
夢の最後に つづく の文字がでてきて実際つづきをみたり
どんなに怖くてもこれは夢なんだから と夢の中で夢をみていることを
意識していることもあったり とにかく見続けていた

眠ると必ず怖い夢をみるから「起きている 絶対眠らない」と言って
母を困らせ、しかし眠気には勝てずまぶたがくっつくと唾をつけて
指で開こうとしたことを覚えている

夢の中で幼い私は誰かに追われていつも逃げていた
いつも隠れていた
追っ手にみつかると私はライオンに食べられたり必ず殺されてしまうのだ
指名手配のようになっていてみつけたひとは私を殺してもいいことになっている

逃げるのは一人の時もあったけれど
もう一人か二人 仲間らしきひとがいっしょだったりした

息をひそめて隠れていると「見つけたぞ」と
誰かの目があらわれ もうだめだと恐怖の頂点で夢はさめる
ヘトヘトになって朝を迎え「また おっかない夢みた」と家族に報告するのだった
金縛りもしょっちゅう体験していた

小学校の何年生かはっきり覚えていないがたぶん3年生か4年生頃に読んだ
漫画の「踏み絵」に強烈にとらわれたことがあった
それは隠れキリシタンを題材にした漫画で
ほとんどの信者はイエスさまの描かれた絵を踏まず
崖から飛び降りたり火あぶりにされたりしていた

踏むよりはイエスさまを 信仰を選んだのだ
それは拷問や死を意味する
私は隠れキリシタンに感情移入して「私だったらどうするだろう」と
授業中もずっと考えているようなこどもだった

「死」をひどく恐れていたので 死ぬのは絶対絶対イヤだというおもいがあった
同時に踏み絵を踏んでしまう弱い裏切り者の自分をも許せず
崖から飛び降りるのだけど途中ひっかかって命はたすかる
とかうまく逃げ出すことばかり考えていた

漫画のストーリーなのに一時このことは小学生の私の大きな課題だった
誰も私にそんなことをきくひとはいないし
家には仏壇があってクリスチャンでもなかった

けれども祭りの出店ではかならず十字架のペンダントを買い
ふろしきを頭にかぶって遊ぶその姿は
まさに修道女だった

誰が私に教えたのだろう
情報はその漫画だけだったのだろうか
その頃そんなTVをやっていたのだろうか

いまならそれは過去生の強烈な記憶
またはスクリーンでみせられあたかも体験したごとくにおもわせる
エマネーションと呼ばれるもの ということで納得もするが・・

何を言いたいかというと
それら子どもの時に夢の中で感じたものすごい恐怖は
表舞台にたつこと めだつこと
自分は何者であるかを表明することへの恐れにつながっていったということだ

暗いところに隠れていると安心する感覚と
太陽の下 人々の前に自分をさらけだすことへのこわさと欲求を
いつも同時にかかえていたようにおもう

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