自分をごまかすことはできない ② 賢者テラさん

死とはなにか なんてことをいつも考えていたわけではない
できればそんなこと気にせずにいたかった

でもあちらのほうから来たものだから無視できなくなった

東北の冬眠状態から浜松に行くことを決めたのは
2月24日に月2回ある井上哲玄老師の寺カフェ開催を知ったからだ
さらには前日23日には知井道通さんと賢者テラさんのコラボトーク
このスピリチュアルなごちそうが雪の山形から私を連れ出した

井上老師の映像をみたのは1月18日だった
5分で魅了された
これだ とおもった
何がこれなのか説明できなかったが
ここに確実に花が咲いている
香り高く疑いようのない花

そして浜松コラボトークの数日前 スピリチュアルTVはテラさんだった
http://www.ustream.tv/recorded/44047599
もうすぐ本人に会えるんだなとライブ放送をみるとチャットの質問に答えるテラさんがいた
「わたしたちは幻想に遊びにきている」
うん うん そうだよね

「死もまた・・」  えっ! 死
この死というフレーズに私はまたまた反応してしまった
死も幻想なの?もう テラさん いま軽く言っちゃったけど
死によって生という幻想が終わるんじゃないの?

私の内がざわざわしてきてなんとチャットに書き込みをしていた
「死もまた幻想・・・死は必ず起こる。  怖い。   怖いは過ぎ去る。
怖いは何度でもやってくる。  怖さを味わいたいのかな」

本当は この怖さをどうにかしてくれ と書きたい気持ちだったけれど
とにかく 私はこんな表現をしていた

するとテラさん
「この人に言いたい。死ぬ時でいいです」

「いま生きてるわけでしょ。安全圏にいて死ぬこと考えてるならやめたら。
 死ぬなら死ぬときに考えなさい。
 ディズニーランドにいるならば その中で楽しめばいい。
 今から考えて試験の対策にしても何の対策にもならない。
 死ぬことに対する対策なんて無理だからね。」

そうして イエス・キリストのことを語ってくれた
「イエス・キリストでさえいざ死ぬ立場になって
 死を覚悟していたのにとてつもなく怖かった。」

「でもそれはいっときだけでなんのことはなかった。
 そのときでいい。
 いくら考えて いくら対策たてても何の役にも への役にもたたない。」

「生きている。 いまできることを楽しむほうがいい。」

テラさんのこの返答に私は笑いがこみあげてきて
「死ぬ時のお楽しみですね」とチャットした

要するに私は答えをみつけて いま安心したかったのだ
そのことがわかれば安泰でいられる答え
完全に私がわかる、理解できる答え

テラさんがイエス・キリストのことを話してくれたことで
私の内でなにかが落ち着いた
あのイエス・キリストだって 瞬間こわかったんだなあ

これは私がどうこうできる問題ではないな
もう老師に「死」についての質問はしなくてもいい感じになっていた

ところが 大悟した方というのはサイキックにならざらをえないのではないか
とおもってしまうような展開が寺カフェで起こっていく
  

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