ところで、草は食べたの?

ミラと会うと自分にとっての一撃的なものが
なにげない会話の中で起こります。

昨年の11月に急遽ミラが日本に来ることになり
「家族の座とポートレートペインティング」ワークショップを開催しました。

久々に会ったので近況報告というか
夏に自分がぶち切れ状態になったこと、
2週間ひどいギックリ腰で動けなくなったことなどが話にでました。

自分がインドのペインティンググループで絵を描いていた頃は
「ヘナは絵筆より重いものはもてない」と言われるくらい体力がなく
もちろん畑しごとなどはしたことがありませんでした。

畑は時々行ってながめるもの、
果樹や野菜の絵を描く場所で、収穫も親まかせだったのです。

父が畑仕事ができなくなってきた頃から畑に出始め
亡くなってからは、こんな猫の手状態でもやらざるをえなくなりました。
もともと力がなく、足腰が弱く、身体の使い方を知らない私が
重い機械を持つ状況が重なるとどうなるか・・・

また、誰かに必ずたすけてもらわなければならない状況
本当に自分はやりたくてやっているのか
しかたなくやっているのか
100%自力を出してるのに、やってない、もっとやれと
言われてるような脅迫観念
などなど

とにかく「ぶち切れ」が起こったのです。
自分でも止めることのできない役者が突如出現したのです。
いままでみたことのないひと(自分)でした。

そして同時にひどいギックリ腰で動けなくなりました。
そんな最悪とおもわれる状態の中でなぜか非常に力強いおもいがわいてきたのです。

不本意なことはもうやりたくない
びくびくして生きるのはイヤだ
お金がなかったら庭の草を食べてでも生きてやる

自分でもびっくりしました。
これまでは ・・・・になったらどうしよう だったのが
・・・・になっても生きてやる に変わったのです。

前置きが長くなってしまいましたが
そのことをミラにシェアすると
「ヘナ、ところで庭の草は食べたの?」

いや、食べてないけど
それにそういうことを言いたいんじゃなくて・・・

「あのね、そういうのは草を食べてから言うもんだよ。
 やってもいないのに言うのは 口先だけって言うんだよ」

えーっ、私は自分の決意をですね   モゴモゴ
でも 言われてみると確かにそうでした。

ミラのこの一言に
アイディアはうかび、口にもするけどなかなか身体の動かない私
2016年 縁によって目の前にきたことは
とにかく頓着せずにやることを決めました。
それはなにか大きなプロジェクトの決意ではなく
小さな日常のことだけど

やるならやる
やらないならやらない

臨機応変
自由自在
変更もまたよし
日和見菌だって役割がある

それで畑はできる範囲でありがたく続けます。

それと庭ではありませんが畑にはえている雑草と呼ばれるスベリヒユ
これがコレステロールを下げるのにいいということを知りました。
茹でて辛し醤油で食べるのもいいですが
夏の間に干していつも食べるようにしたいなあとおもっています。

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